2003年、夏 母が突然、騒ぐ! こんなとこまで連れてきて あんたはひどい息子さ
今すぐ私は帰るよ 母が身支度を始める よろける足を踏ん張りながら 帰り支度をする
理由なんて分からない だけど母にとっては大切な事
今でも独りで暮らせると言う それはそれで大事な事
私のバッグはどこにある 黄色の財布はあるだろうね?
バスはどこから出るのかい ここから佐世保は遠いかい?
2003年、夏 母が突然、騒ぐ! 今から佐世保に帰るよ そこで独り暮らすから
2003年、夏、母が突然騒ぐ こんなとこまで連れてきて あんたはひどい息子さ
左手は私の腰のベルト 右手で身支度を始める よろける足を踏ん張りながら 帰り支度をする
悲しさ辛さは誰にでもある 思い通りにならない事も
ひどい息子につれない嫁だと 何と言われても構わない
私の腰のベルト 母には必要なはずなのに
静かな暮らしの中で 母は私に気づかない
2003年、夏 母が突然、騒ぐ! 母が佐世保に帰ると言う 私のベルト握ったまま
制作背景:
立田山自然公園での歩行訓練で自信をつけた母の言動が一転します。「私は帰るよ。やっぱり佐世保で独りで暮らしたい・・」と。早朝から衣装ケースを開けては帰り支度を始める日が多くなります。嫁は「尚さんと続けた訓練でどうにかこれまでになれたんですよ」と言いますが、「そんな事はしていない、私はいつでも歩いていたさ」と答えます。そう言う母の左手は私の腰のベルトを掴んだままなのですが。。。。母は私の身体でさえ自分の身体の一部のような勘違いをしていました。確かに、団地内の平坦路では右手の杖だけでかなりの距離を歩くようにはなっていたのですが、下り坂が危険でした。ただでさえ前傾気味の歩行ですから下り坂だと両足が揃った時などは[戸板が倒れる]ように前方に倒れ込みます。だから、歩けるようになったと言っても、常に見守り介助が必要なのです。この頃、母の認知症の進みが早く、母自身の表情にも自分自身の言動の不一致、記憶の前後などに戸惑うケースが多くなっていきます。「私は何を言ってんだろう」、「何をしようとしているのかしら・・」などですが、長崎に住む長女の紘子からの電話があった後でも暫くすると、「えーと8時だね。さて、紘子にでも電話をしてみようかね」といったような感じでした。
立田山自然公園での歩行訓練で自信をつけた母の言動が一転します。「私は帰るよ。やっぱり佐世保で独りで暮らしたい・・」と。早朝から衣装ケースを開けては帰り支度を始める日が多くなります。嫁は「尚さんと続けた訓練でどうにかこれまでになれたんですよ」と言いますが、「そんな事はしていない、私はいつでも歩いていたさ」と答えます。そう言う母の左手は私の腰のベルトを掴んだままなのですが。。。。母は私の身体でさえ自分の身体の一部のような勘違いをしていました。確かに、団地内の平坦路では右手の杖だけでかなりの距離を歩くようにはなっていたのですが、下り坂が危険でした。ただでさえ前傾気味の歩行ですから下り坂だと両足が揃った時などは[戸板が倒れる]ように前方に倒れ込みます。だから、歩けるようになったと言っても、常に見守り介助が必要なのです。この頃、母の認知症の進みが早く、母自身の表情にも自分自身の言動の不一致、記憶の前後などに戸惑うケースが多くなっていきます。「私は何を言ってんだろう」、「何をしようとしているのかしら・・」などですが、長崎に住む長女の紘子からの電話があった後でも暫くすると、「えーと8時だね。さて、紘子にでも電話をしてみようかね」といったような感じでした。