きっと天狗が住んでいるよと 見上げたじゃないか あれは去年の秋だったね
金糸の絨毯みたいだよって はしゃいでいたよね 車イスから立とうとしたよね
素足で歩いてごらん お姫様みたいにさ 神様だって見とれるかもね
そろそろ秋祭りの準備かしら 枯葉が踊り出したよ 弓削神社の秋はすぐそこ
弓削神社の秋は・・もうすぐ
ソバには広くて ほら・大きな川もあってさ 天を突く杉木立があったさ
冷たい風が吹いていたよね 木漏れ陽が綺麗だったね 気持ちがいいねと貴女は言ってた
きっと天狗が大きな団扇で 扇いでいるよと 貴女は両手を合わせていたよね
二年前の貴女は杖を使ってさ 自分の足で歩いていたよね
あの日も風が吹いていたよね こんな夕暮れだったね 弓削神社の秋はすぐそこ
弓削神社の秋は・・もうすぐ
覚えているかい この境内いっぱいに 銀杏の葉っぱが積もっていた事
それは金の絨毯みたいさ 神様だけが歩く道 ソバには天狗を従えてさ
頼んでみようよ自分の足で 歩いてみたいとね 俺も一緒に歩くからさ
車椅子の暮らしに 浸っちゃいけないよ 人生って歩いてこそだよ
秋祭りまで待てないってさ 枯葉が踊り出したよ 弓削神社の秋はすぐそこ
弓削神社の秋は・・もうすぐ
制作背景:
私はよく立田山自然公園、代継神社、弓削神宮へ母を連れて行きます。多くは母のリハビリ目的なのですが、時には自分自身の精神力の崩れを修正する為にも向かいます。自然の中には生命を誕生させ、その命を奪う力さえもが同居しています。体力と精神力(生きるか死ぬか)のバランスをとっているのは自分自身なんです。人で言えば意識や心。私は幼くしてその事に気付かされました。数知れず繰返した大手術、事故やその他の馬鹿げた事で私の身体には無数の傷痕が残っています。これらは同時に拭えない心の傷であり、両親に対する申し訳のできない罪でもあると思っています。今の私は老いや人生をテーマに作品を作っていますが、それは同時に私自身に対する禊(みそぎ)でもあるんです。母の命を守る事は自分の命の存在を確信する事でもあります。そんな私にとって、自然界の魂と触れ合える場所が神社なのです。自然は私の問い掛けの多くに母の身体を通して答えてくれています。何故、分かるのかって・・?。それは今の私は幸せだからです。